どんつき番外編#1 竜也と悠介の出会いの話。

創作BLマンガ「どうせ行き着く先はハッピーエンド」の番外編です。
読まれていることを前提とした内容になっていますのでご注意ください!
(未読で理解できる保証はございません。ごめんなさい!)


 無機質で、色のない部屋。
 「予備校の教室」と、前につければ、特別目新しくもないその場所。
 
 久我竜也は、返された模試の結果を教室と同じように、無機質に、ただ眺めていた。

「久我くん、今回の模試の成績もかなり良かったよ。2年でこれなら、問題なく希望校には入れると思う」
「……そうですか」
 教室を出る時に講師から声をかけられたが、竜也の中に嬉しい気持ちや、認められたといった気持ちは1ミリも浮かばなかった。
 
 努力をして、やっと掴んだ順位なら、もう少し感情が動くこともあったのかもしれない。
 ……ただ、自分にはそういったものがないだけだ。そう自嘲するように、竜也はぎこちなく愛想笑いをするしかなかった。
 
 親に言われるまま、勉強をして、志望校を決めて。
 でも、それに不満はなかった。
 誰だって、少なからずそんなものだろう、と、竜也は知っていたからだ。

 ***
 
 参考書や問題集のページをめくる、少し掠れた音。
 シャープペンシルの、軽めのカリカリという音。
 竜也は、静かな空間の中でかすかに聞こえる音から他人という存在が感じられる、自習室という場所が好きだった。
 
 心地よさを感じながら、過去問に向き合う。竜也にとって、この問題集自体に特に意味はない。だいたいの問題文を見れば答えは自ずと出てくるし、特別苦戦する問題があったわけでもない。ただ、ここにふさわしい行動を取っているだけ。
 なんだかんだ問題を解き始めると集中してしまったのか、ふと時計を見ると40分ほど経っていた。
 今日はこの程度にしておくかと、手早く荷物を片付けて自習室を出る。すると、今までに聴いたことないレベルの、乱雑な――明らかにバタバタした足音が近づいてくる。竜也が思わず音の方に目を向けると、予備校という場所には到底似つかわしくない風貌の男がこちらに駆けてくるのが見えた。

 短くカットした髪を金に染めている……が、一見して不良という雰囲気ではない。高校生にしては少し小柄な体に、それとはアンバランスな大きな黒いリュックを背負っている。もしかしたら中学生なのかもしれないが、その年齢で金髪は珍しいとも思う。
 
 金髪の男は竜也の近くまで走ってくると、ぴたりと足を止め、何故かこちらを見上げて来た。もちろん知っている顔ではないが、もしかするとこの予備校に入ったばかりで、行きたい場所がわからないのかもしれないとも思い、竜也は男を見返した。見返したというよりは、見下ろしたといった方が正しい。
 自身でも常々意外だと思っているが、竜也はたまにいる、なぜか他に沢山の人がいてもピンポイントに道を尋ねられるタイプの人間だった。実際、この予備校に入ってもうすぐ1年になるが、教室の案内をした回数は20を超えている。なので、彼もまたそうなのだろう――竜也は、そう思っていた。

 しかし、その想定はあっさりと裏切られた。
 金髪の男は、しばらく竜也の顔を見た後、笑顔――というよりも、宝物を見つけた子供のような表情になり、底抜けに明るい声で竜也にとって予想外の言葉をかけた。
 
「おまえ、めっちゃ背高いな!」
 
「……は?」
「あ、ご、ごめん!いや、俺背低いから羨ましくって……」
 慌てる彼から、ふわり、とかすかに柑橘のようなの香りがゆらぎ、竜也の鼻をくすぐった。

 ***
 
「俺さー、冬期講習からだから、間に合うかわかんねーんだよね」
 授業後の自習室。竜也は悠介に「英語が弱いから教えてほしい」と頼まれ、付き合っているところだった。
 この予備校では、冬期講習は1月に行われる。今は春休み中だから、悠介は高校2年のほぼ終わり頃から本格的に受験勉強を始めたことになる。希望校は私立とはいえ理系――建築学科だから、スタートが遅いと感じるのもわからなくはない。
 
 予備校にはそう居ないだろうタイプの金髪の男――芦崎悠介。
 竜也は悠介に「背が高くてカッコいいから」という、正直竜也からすると「なにがいいんだか全くわからない」と困惑する程度の理由で気に入られ、いつの間にか予備校で行動を共にする仲になっていた。
 偶然学年は一緒だったものの、竜也は文系コースなのに対し悠介は理系コースなので、常に一緒にいるわけではない。ただ、一緒に自習室で勉強したり、駅まで一緒に帰るといった「友達」といえる仲なのは間違いない……多分。
 竜也は正直、これまでの人生でこのレベルの付き合いも多くなかったことが災いして、友達の定義や、友達と親友の差がよくわかっていない。悠介が「竜也みたいなタイプの友達って初めてかも!」と言ったことで「ああ、俺たちは友達なんだな」と納得するくらいの感覚だった。
 
「それでも行きたい大学があるから、ここに来てるんだろ?」
 悠介は、数ヶ月前に初めて自分の憧れの建築士が大学で教鞭をとっていることを知り、今の成績じゃ受からないかもと慌てて予備校に通うことを決めたらしい。
「それはそーだけど……。俺、竜也ほど頭よくねえし」
 軽くむくれながらも真面目に問題集と睨み合う悠介の姿は、竜也には子供が頑張っているように見え、正直微笑ましい。もちろん、こんなことを本人に言ったらものすごく怒るだろうが。
「……まだ1年あるから。悠介次第だな」
「ヨユーのあるヤツはいいよなぁ、マジで」
 くさしながらも、悠介は真剣な表情で問題と向かい合う。
 悠介はその見た目通りの明るさやちょっとお調子者といえる部分は持っているものの、とても真面目で真っ直ぐな、外見の派手さからは少しギャップを感じる魅力も持っている。
 この前興味本位で、どうしてそんな髪色にしているのかと聞いてみたら「校則で違反じゃなかったからやってみた」という、極めてシンプルな返答をもらった。まあ、高校生が髪を染める理由なんて特に大きなものはないのかもしれない。

「……なあ、竜也ってさ」
「ん?」
 竜也が悠介の回答をチェックしていると、ふいに声がかかる。
「志望校ってどうやって決めた?頭いいから一番上にいっとこ、みたいな?」
「いや。親がここにしたらって言ったから」
「あー……よくある話のね。お前はそれでいいの?別に、俺が言うことじゃないけどさ」
 竜也は採点する手を止め、少し逡巡した後、軽く息を吐いた。
「正直……わからない。悠介みたいに、会いたい人とか、何か手に入れたいものがあったら、また違ったのかもしれない」
「なるほどね。ま、そういうの見つかるといいな」
「そうだな」
 ……何か、か。悠介に聞こえないほどの小さな声でこぼし、採点を再開した。
 風に乗って、かすかに柑橘の香りがする。竜也にとって、悠介という人間を形成する要素のひとつ。
 シャンプーなのか、整髪剤なのか、それとも何か香水でもつけているのか。本人に聞いたことはない。ただ、竜也はふとした時に感じられる、悠介の香りが好きだった。

 帰りの電車の中。竜也はさっきの悠介の言葉に、小さな痛みを感じていた。それはまるで、知らない間に、紙で指を切ってしまったときの傷のように小さなもの、だったけれど。
 ……気づかなければ、痛みなんてわからなかったかもしれないのに。
 
  ***

「竜也!英語の成績上がってた!圏内まで!」
 悠介は努力のかいあって、ぐんぐんと成績を伸ばしている。先日行われた小テストで、悠介は自分の期待以上の点数を取れたらしく、稀にみるキラキラな笑顔で報告してくれた。
「わざわざ、それを言いに来たのか?」
「やっぱ、世話になった人にはちゃんと報告する義務ってのがあるからさ」
 悠介は、授業が終わってすぐ竜也の教室までやって来ていた。竜也としては、家庭教師レベルで見ていたならまだしも、ちょっと勉強を見た程度でそこまでしなくても……というのが本音だった。メッセージのひとつでも飛ばしてくれればそれでよかったのにと口に出しそうだったが、そんなことを言ったら悠介が「なんだよ!嬉しかったんだからいーだろ!」なんてぶーたれるのはこれまでの付き合いでわかっていたし、何より自分だって水を差す気はない。竜也は「悠介の努力の成果だろ、よかったな」と大人の対応で済ませた。
「だから今日はお祝いしようぜ!なっ?」

 有無を言わさず、竜也はファミレスに連行されていた。悠介は予想より成績が上がったことがよほど嬉しかったのだろう、しきりに「竜也のおかげ!」と言っていて、「お前、それは言い過ぎだから」と、流石に竜也も苦笑して咎めるほどだった。
「俺は何もしてない。悠介が頑張っただけだよ」
「それでもさ。竜也は俺が同じとこわかんなくても、何度もちゃんと教えてくれたじゃん。あれめっちゃ嬉しかったんだよなー。他のヤツに聞いても、大体2回目か3回目で『前に言ったから』って言われちゃうし」
 同じところを何度も聞かれたら、イラつく人間はまあ……そこそこいるだろう。ただ悠介は悪気があるわけじゃなく、ちゃんと腑に落としたいから何度も聞きたいタイプなのだ。だから、繰り返し同じ部分を聞かれても、淡々と教える。小さい子が同じことを何度も聞くように、悠介はそれだけ素直に「知りたい」と思う、知識欲が旺盛な人間なのだと知っていたから。
「あとさ、竜也はどう思ってるかわかんないけど、俺にとってはお前ってめっちゃ特別なんだよね」
「……特別?」
 運ばれてきたハンバーグを頬張った笑顔の悠介が、改めて竜也を見る。普段なら「食べながら喋るな」と注意するところだが、竜也はこれまで他人に言われたことがない「特別」の2文字が気になって、無意識に続きを促していた。
「竜也ってさ、口数も多くないし、特別面白いこと言うわけでもないじゃん」
「……それは、悪口を言ってるわけじゃないよな?」
「違うって!……なんかさ、言っちゃ悪いけど、正直付き合いづらいタイプだと思うんだよ、竜也って。でも、俺にとっては落ち着くっていうか……なんていったらいいんだろうな……んー……そこに居てくれるだけでなんか安心する、みたいな。俺ってさ、自分で言うのもなんだけど、そこそこコミュ力あるから友達は沢山いるんだよ。でも数年後も付き合いがいるヤツってどんだけいるのかな……って思ったりするわけ」
 ハンバーグを飲み込んだ後、一息に喋った悠介は、喉を潤すために水を飲む。
「で、さ。今んとこ俺にとっては、10年後も付き合いがありそーなのは竜也くらいなんだよね。で、もしかしてこういう友達が親友になるのかなー、なんて思ったんだよなぁ」
 悠介の言っていることは、ただ「俺の中でなんかお前は違うから、親友ってもんに該当するんじゃないか」という仮説・持論を語っただけにすぎない。
 ただ、竜也は「それはお前が勝手に思ってるだけだろ」と、軽口を返すつもりはなかった。……悠介がそう思ってくれることが、素直に嬉しかったから。
「悠介がそう思うなら、俺は親友に当たるんじゃないか」
「マジ!?じゃあ、俺たちは今から親友だな!」
 無邪気すぎる悠介の笑顔は、今まで見た誰の表情よりも眩しい。神様なんているか知らないし、興味もない。
 だけど、それでも。
 悠介と出会えたことを何かに感謝したい。竜也はほんの少しだけ顔をほころばせ、自身のミックスグリルに手を付けた。
 
  ***
 
 高校3年になり、本格的な受験シーズンに突入すると、悠介と顔を合わせる機会も大きく減った。
 目指す大学も、学科も違うので当然のことと納得はしていても、竜也の中には「寂しい」という気持ちがあった。今まで感じる機会なんて殆どなかったのに、突然住み着いた野良猫のように、勝手に心の一部を占拠していた。今までは別に一人でも何も思わなかったし、それが普通だった。むしろ、自分から一人を好んでいたように思う。……一度知ってしまうと贅沢になると言うが、自分も例外ではなかった。

 18歳にもなって、友達……親友とちょっと話せないくらいでこんなにうだうだと考えてしまうなんて、意外と人間らしいところもあったんだなと、呆れと安心という相反した気持ちが複雑に絡み合い、胸の中心あたりに言いようもない重さを落とす。
 竜也はその気持ちを自嘲しつつも表情には出さず、次の授業がある教室へと足を運ぶ。

 途中、ふいに知っている香りがした。
 
 知っている、じゃない。よく知っている、竜也にとって唯一の親友のそれだった。

 思わず反射的に周りを見る。香りの出処は、一人の女の子だった。後ろ姿で顔はよくわからない。背は小さく華奢で、まとう雰囲気はふんわりとしていて、まるで小さな白い花のよう。ボブカットの髪を揺らしながら、竜也とは反対方向へ向かっていく。……悠介以外の人間から、あの香りがしても全くおかしくない。そんなことはわかっていても、竜也の中では、悠介の大切な一部だった。
 自分がそこまで悠介と会えないことに寂しさを感じていたのかと思うと、なんだか自分が母親を探す小さな子どもと変わらないように感じて、いい年して……と、少し情けなくなってしまう。気を取り直し、竜也は踵を返そうとした、そのとき。

「悠介くん!」

 さっきの女の子の先に、悠介がいた。
 いつもみたいに人懐っこい笑顔を、多分、その子に向けて。
 
 ……正直、自分にも気づいてくれるんじゃないか、なんて。だって、俺たちは「親友」だから。……しかし、竜也の気持ちの蜘蛛の糸は、簡単に切れた。
 悠介の目には、女の子しか入っていないようだった。「あれ、今日来る日だった?なんの授業?」「えっとね、私は現代文」「あー、そうなんだ。俺、現文は受験にいらないからさ……」

 普段は他人の声なんて、全然聞こえないはずなのに。いくら脳が拒否しても、なぜか鮮明に、二人の会話が耳に入ってきてしまう。

 こんなの、当たり前の光景だ。高校生なら、恋人がいたって何もおかしくはない。悠介みたいなタイプなら、いないほうがおかしいと思うレベルだ。……ただ、どこかで。悠介は、自分と近いと思っていた。竜也は、思わず苦笑する――何が、近いと思っていたのか。
 悠介は自分の目的があって、行きたい大学があった。対して、自分には何もそんなものはない。悠介は誰にでも人当たりがよく、人気者だった。自分は、人気者どころか遠巻きに見られるか、道を聞く用のNPCだ。
 
 急に恥ずかしくなり、図らずとも顔の表面温度が高くなっていくのがわかる。――俺は、何を、期待していたんだろう、と。親友という立場が神聖で特別で、自分は悠介にとって唯一無二の存在なんだと、どこかでそう思っていた。いや、もしかしたら、悠介の中では。まだ、特別な存在かもしれない。……でも、同じ香りをまとうことはできない。決定的に違う、何かを突きつけられてしまった。
 友達を取られて嫉妬する女の子を、中学生のころに見たことがある。当時は「その程度でそんな怒ることなのか」と思っていた。
 
 でも、今の自分ならわかる。

 どこかで、自分が一番だと思っていた自信が崩れてしまったとき、こんなにも――どこかにやるせない気持ちをぶつけたいという衝動に駆られることを。
 
  ***

 竜也は、ひたすら考えていた。あれから受けた授業は、正直内容を全く覚えていない。それよりも、自分の中に生まれた感情を整理することに必死だったからだ。
 ただ、親友に彼女がいるかもしれないという仮定だけで、あれだけ自分の感情が揺さぶられてしまうものなのだろうか?
 これまでロクに親友、友達さえもいなかった竜也にとって、この感情は未知でしかない。生きていて、多くの人が抱えるものなのか?友達に、親友に対しての気持ちとして適切なものなのか?

 それとも――また違う、感情なのか?

 悠介は、大切な友達だ。……彼に出会わなければ、今持っている、どこに落とし所を作ればいいのかわからない気持ちも持つ必要はなかった。
 だけど、それ以上に。悠介は、自分が今までも、これからも感じることはなかったかもしれない様々な感情や、思い出をくれた。悠介と出会わなければ、自習室でだべることもなかったし、帰りにファミレスやラーメン屋に行くことだって、きっとなかっただろう。

 雛鳥が、初めて見たものを親だと思うように。悠介は特別な存在だと、勝手に自分がインプリンティングしていただけじゃないのか。
 ――でも、仮に、そうだったとしても。俺は、悠介の一番で、特別でいたい。その気持ちだけは、自分で否定できなかった。いや……したくなかった。

  ***

「こうやって話すのも久しぶりだな~!やっぱ3年になっちゃうと、なっかなか時間取れないよなぁ……」
「まあ、俺と悠介は文系と理系でかなり受講内容が違うからな。仕方ない」
 ファミレスに、二人の姿がある。予備校内ですれ違ったり、連絡を取り合ったりはしていたものの、こうしてゆっくり時間を取れるのは久しぶりだ。お互いに遠慮している中、竜也の「久々にメシでもどうだ」という誘いに、悠介が二つ返事で乗った形だった。
「どうだ、合格は余裕そうか?」
「ん~……確実とはいえねーけど、ま、8割くらい?かな」
「そうか。なら十分だな」
 自ずと、話題は受験のことになる。竜也としては悠介がどれくらいまで対策が進んでいるかも気になる点ではあったが、本当の目的は他にある。注文した品が届き、雑談を少し交わした後。竜也は意を決して、少し掠れた声で。本人としては、あくまで自然に、その話題を出した。
「そういや悠介って、彼女いるのか?ずっと前……女の子と親しそうに話してるとこ見たから」
 その言葉に悠介は少し目を見開いた後、「あれ?」という表情で竜也を見た。
「あれ?竜也に話してなかったっけ……。いるいる。高1からずっと付き合ってる。竜也が見た子がそうかはわかんねーけど」
「……初耳、だな」
「えーマジ?そっか……なんでだろな、話してる気になってたわ。ま、彼女がいようがいまいが関係ねーだろ?別に」
「まあ、それはそうだな。ただ、追い詰められた受験生のわりに要領よくやってるんだなって思っただけだ」
「え~?別に受験生だからって、これくらい普通だろ」
 ……普通、か。
 竜也としては、以前見た女の子が彼女であろうとなかろうと、どうでもよかった。ただ、悠介に確実に彼女という「特別な人」がいるのか。そして――その「事実」を聞いたとき、自分の心がどうなるのかを、確かめたかった。
 
 多分、普通は友達や親友に彼女がいても、何も思わないだろう。思うとすれば「遊びに誘いづらくなる」とか、「偶然彼女連れの時に合ったら気を遣う」程度のものだ。
 しかし、竜也の心中は違った。――俺がいちばん、近くにいられたら。
 これは、決して友達や親友が持つ感情ではない。いや、決してとは言えない。彼女に親友を取られたと憤る人間も中にはいるだろう。
 
 ……だけど。悠介が友達に見せる表情も、好きな人に見せる表情も、自分が見たい。自分だけに見せてほしい――そう、思っていることが、答えを聞くことではっきりとわかってしまった。
 こんな風に思ったのは、いつからだろう。竜也の中に自覚は全くなかった。そもそも、他人に特別な感情を抱くことさえなかった竜也にとっては、悠介と出会って生まれた感情全てが新鮮な驚きと喜び、そして戸惑いを生むものだった。

 まさかそれが、「好き」という気持ち――しかもその対象が同性なんて、誰が考えるだろうか。
 
「……竜也?」
「あ、悪い。何か言ってたか」
「言ってねーけど、なんか変な顔してたから。体調悪いとか?」
 悠介が少し眉を潜め、心配そうにこちらを見る。もしかしたら、答え合わせをしているうちに、深刻な表情になっていたのかもしれない。
「いや。悠介が彼女といるときもこんな態度なのか?って思ってただけだ」
「はぁ?なにそれ。流石に違うに決まってんだろ。お前の前でしか出せないとこだってあんだから」
「……そうか」
 人は、何かと相対する時にそれ用の仮面を被る。悠介だって例外ではなく、彼女にしか見せない顔と、親友にしか見せない顔がある、それだけの話だ。それでも、竜也にとっては自分が悠介の一部を独占できていることに小さな幸せを感じてしまっていることを自覚する。合わせて、知らず知らず膨らんでいた独占欲に対し、自分はこんな俗物だったのかとげんなりとしていたが。
「なんか変だぞ、お前。もしかして、悩みとかあるんじゃねーの?俺でよければ聞くからさ。溜め込むなよ?」
 ちょっとした違和感にも鋭く気づくのは悠介のすごいところだ。動物的なカンというのか、こちらが隠しているつもりでも簡単に見抜いてくる。……まあ、今の状態はあからさまかもしれないが。
 竜也には、悠介に伝えようと思っていたことがひとつある。自分の感情の整理も目的のひとつではあったが、一番はこちらだった。
 
「悩み、じゃないんだけどな。……俺、お前と同じ大学に行くことにした」

「……は?」
 悠介の目が点になる。
「え、なんで?お前の成績なら全然、今までの志望校でいいじゃん。2つくらいランク落ちるぞ?」
 全く持って正論だった。竜也の成績は非常に優秀で、全国トップの大学にも難なく合格できるほどの実力がある。仮に、竜也の学力を持っていたらどの大学に行く?と聞かれたら、8割以上の人間が迷わずトップ校を選ぶだろう。
「前に、お前に聞かれただろ。どうしてその大学に行くのかって。……俺も、欲しいものができたってだけだ」
「……そっか。ま、お前が決めたことなら何も言えることはねーけど……」
 悠介は少しうつむき、逡巡をめぐらすような表情を見せる。もしかして、自分のやましい気持ちがバレてしまったのではないかと、竜也は少し不安を覚えた。しかしそんな竜也の意に反し、悠介は嬉しさが爆発したように、一転して満開の笑顔になった。
「正直言うとさ、マジ嬉しい!大学違ったらさ、なかなか会えなくなるかもしれないじゃん。でも、おんなじ大学なら専門はだめでも、パンキョーなら一緒に取れるもんな!」
 「竜也なら簡単に受かっちゃうだろうから、俺もっと勉強頑張らないとな~」と言いながら、オムライスを頬張る悠介。その姿を見ながら、竜也は今までに感じたことのない、これだと言葉で形容できるようなものではない。けれど、決して死ぬまで忘れないような。どうしようもないほど温かくて、それでいて引き裂かれるような痛みもともにあるような、自分しか得られないであろうものを、たしかに感じていた。

 多分、好きと言えば今の関係は簡単に失ってしまうだろう。
 言わなくても、これから先の人生でいつ縁が薄くなるかなんてわからない。
 ……それでも、1秒でも長く側にいることができたら。その中で、夢物語みたいな可能性が、もしあるとしたら。

「あー、俺めっちゃやる気でてきた!絶対受かるからな!」
「お前が後輩になるのは嫌だからな。頑張れよ」
 
 そんな、「親友」らしい言葉を交わして。
 
 もしかしたら、気持ちを抱えたまま側にいるのは、想像もつかないほどつらいかもしれない。今の彼女とこのまま結婚することだって、十分にありえる。仮に彼女と別れても、自分が悠介の恋人の対象になるなんてことも、一生ないかもしれない。我ながら、本当に分が悪すぎる賭けだと思う。
 でも、幸いまだ自分は18歳だ。長い人生のうち、しばらくはあがいてみてもいいんじゃないか、と。今まで生きてきて、初めて明確に「欲しい」と思うものができたのだから。

 そんなとき、ふわり、と。竜也にとって大切な人の香りがする。今までで、一番強く、濃く。

「竜也、きーてる?」
 意識を戻すと、悠介が竜也の顔を覗き込んでいた。眉根を寄せ、薄茶色の瞳はせわしなく色んな方向に動いている。
「あ……悪い。ぼーっとしてた」
「やっぱお前、なんか今日変じゃね?」
 そう言って悠介は身体をソファに戻すが、心配しているというよりは、何か訝しげな表情で竜也を見ている。まるで何か隠しているのではないかと、猫が飼い主を見るような。
 思えば、悠介は切れ長の目元と、少し人よりも瞳孔が縦に細いこともあり、動物に例えるとまさに猫だった。そんな彼の機嫌を損ねないよう、「最近寝不足だったからな」と、適当な言葉で濁す。
「絶対それだろ。今日はさっさと寝ろよ?この時期に体調崩すのはやべーから」
 悠介は素直に信じてくれたようだ。竜也は、気をつけるとだけ言って自身のオムライスに手を付けた。
 
  ***

 その日は、それまで長く続いていた雨も止み、まさに入学式日和といえる快晴だった。
 
 竜也は紺色のピンストライプスーツに身を包み、これから4年間過ごすことになるキャンパスを、ゆったりと散歩する。悠介と出会っていなかったら、ここには居なかった。……もっと歴史を感じさせる、レンガ造りの門をくぐっていたはずだ。
 
 進学先を変えた時、両親や教師はもちろん、予備校講師からも驚かれ、理由を聞かれた。それは竜也が彼らの立場であったとしても、当然の行動だと思える。それでも、なんとかそれぞれが納得してくれる理由を作り上げ、ここまで来た。竜也には、悠介と接することが出来る時間を捨てる選択肢はなかった。――それが、たった4年だったとしても。

「……竜也!」

 呼ばれた気がして振り返ると、悠介が近づいてくるのがわかる。明るめのグレーのスーツに革靴という普段着慣れない服装のせいか、いつもより若干スピードが落ちている気がした。
「さっき言ってた場所と違うじゃん」
 息を整えながら、悠介がぼやく。竜也は謝ろうと口を開いたが、ふと、彼の変化が目にとまった。
「なんだその色」
 悠介の髪色が、しばらく……だいたい、3週間ほど見ない間に、金髪から淡いピンク色に変わっている。
「え?春だし。ま、どーせすぐ抜けちゃうけど」
 あまりにも彼らしい回答に、思わず苦笑する。しかしそんなところも悠介らしい。竜也が密やかに思う、なくしてほしくない美点のひとつだった。
「……似合ってて、いいんじゃないか」
「お!お前もそういうのわかるカンジになった?」
「別に俺は、わからないから染めてないわけじゃないんだが……」
「ならせっかく大学生になったんだし、染めてみたらいいんじゃね?俺、竜也は髪色少し抜いた方がいいと思うけど」
「……じゃあ、今度お前が色を選んでくれ」
「マジ?じゃあ今度染めにいこーぜ」
 二人でくだらない話をしながら、オリエンテーションまでの時間つぶしにキャンパスを歩く。ただそれだけのことなのに、竜也にとってはあまりにも甘く、淡い時間に感じられた。
 
 正直、このまま時が止まればいいのにと、思ってしまう瞬間もある。

 ……でも、止まらなくていい。
 何年後かに今日のことを思い出して、その時にどんな感情が湧き出てくるかなんて、まだわからないから。
 
 ふと周りを見てみると、他の新入生の姿もちらほらと見える。皆一様に、これからの大学生活を謳歌しようという期待感にきらめいていた。
「ねね、すっごいカッコいい子いなかった?」
「いたいた!何学科なんだろうね。一人っぽかったし、話しかけてみたらよかったかな」
「でも、彼女いそうじゃない?あんだけイケメンだったし……」
 女の子の二人組がきゃあきゃあと会話しながら横を通り過ぎる。悠介は「俺もそんなふうに言われてみてー」と、女子たちの会話に反応していた。
 竜也は「彼女がいるのに、そんなこと言われたいのか」と揶揄したが、「幅広くモテたいって気持ちはあるからさ」と、非常に男らしい回答をもらった。悠介は顔も別にそこそこといった感じだし、性格もいいからモテそうではある。……が、そんなことを言うと調子に乗るのはわかりすぎるほどわかっていたので、竜也はスルーを決め込んだ。
 そんな中突然、「あ」と、悠介が立ち止まり、後ろポケットからスマホを取り出す。
「そうだそうだ忘れてた。竜也、写真とろーぜ」
「写真?」
 なんでその必要がある、と言いたげな表情をする竜也に対し、悠介は「だって、俺たちこんなカッコすることめったにないじゃん」と当たり前のように返した。
 この返答には竜也も流石に「確かに」と言わざるを得ない。ただ、竜也としては悠介が一人で写っている写真には興味はあれど、自分が入る必要はないと思うし、なにより写真が好きではない。正直あまり気乗りはしないが、思い出として何かしらの形で残るのは、そう悪いものじゃないかもしれない。竜也はしばし考えて、受け入れる選択肢を選んだ。
「だろ?じゃ、撮るぞ。……ちょ、もうちょいこっちきて、全部入んないから」
 竜也が遠慮がちに近寄ると、悠介は「もっと近づけって」と言いながら竜也の左肩に頭を載せるように身体を傾ける。最近髪色を変えたのだろう、少しケミカルな香りを混じらせながら、今まで何度も感じてきた悠介がそこにあった。
「ん~……ちょっと竜也の顔が無愛想だけど、ま、いっか。これお前にも送っとくから」
「も?」
 僅かな引っ掛かりを覚え、その意図を確認する。
「あ、彼女にさ、竜也の話結構してんだけど。見てみたいって言ってたからちょうどいいし送ろっかなって」
「……それなら、もっと愛想いい顔で写っておけばよかったな」
 きっと、悠介にとっては、単に親友と入学記念に撮った写真でしかない。そこに特別な意味を持たせているのは自分だけだと、竜也は心の中で自嘲する。
 改めて悠介には特別な人がいるという事実を突きつけられ、ひきつれるような痛みが走る。胸のずっとずっと奥、自分でもどこだかわからないけれど、たしかに何かがある場所。概念でしかない「こころ」が、そこにあるのだと自覚させられる場所。多分、これからもこんなシーンは幾度となくあるのだろうと、悠介に特別な感情を持った時から覚悟はしていた。だけど、こんなに早く来ることもないだろうと、思わず神様に愚痴ってしまいそうになる。
 ただ、いくら自分が痛みを感じようとも。未来、後悔することがあっても。今は悠介の側にいたい、それだけが竜也の純粋な願いだった。
「……可愛い子でもいた?」
 驚いたように瞳孔を細め、悠介が竜也に問う。
「?なんでそう思う?」
「いや、今までみたことないような顔してたから」
 疑問の色を浮かべる竜也に対し、悠介は周りを見つつ答えた。
「まあ、いいと思う子はいたかもな」
「え、マジで!?どんな感じの子?」
 悠介は素直だ。素直に竜也のことを好ましく思っている故に、彼の助けになりたいと思っている。竜也自身もそれをよくわかっているからこそ、心に軋みを覚えながらも、側にいる選択をした。
「お前みたいな、小さい子」
 こんなことを言って、悠介が気づくとは到底思っていない。だけど、自分ばっかりやられっぱなしなのはなんとなくムカつく気持ちもあって、ちょっとした意趣返しのように、竜也は悠介をからかう。
「……は!?まだ伸びる可能性あっからな!?」
 全身の毛を尖らせるように、八重歯が見えるほど口を開いてまで必死に「小柄」という属性に抵抗する様は、猫というよりもキャンキャン吠える小型犬のようで、竜也は思わず笑ってしまう。それが更に悠介を怒らせ、しばらく背中を殴られる羽目になった。
 
 誰も意識しないだろう、だけど竜也にとっては大切な、小さな一瞬を、忘れないように。
 何気ないことから、自分の心の奥にあるものが、生まれて初めて震えたように。
 ――好きだと、直接は言えなくても。ただ、側にいることを許してほしいと、いるかわからない、曖昧すぎる神様という存在に願いながら。
「そろそろ、オリエンテーション始まるぞ」
 久我竜也は、自分の人生を賭けても側にいたいと思う、ただ一人の――芦崎悠介の肩を軽く押し、会場に向かうのだった。
 
 揺れる悠介の髪からは、シトラスの香りがした。

次ページは余談(あとがき)

    拍手していただきありがとうございます!
    とっても励みになります。
    お礼ページは下のリンクよりどうぞ!

    拍手お礼ページ



    ぽち感想(何個も押せるよ)

    お名前

    メッセージ

    どんつき番外編
    スポンサーリンク
    RSS購読(オレンジアイコン)すると、サイト更新がすぐわかります!
    MaRoNica