No.916, No.915, No.914, No.913, No.912, No.911, No.910[7件]
おきもち(特定の誰か/何か宛ではない。言うなら自分へのお気持ち)
私は創作を自分の価値を上げるものとして使っていることはまあわかっていて、でもそんな自分も嫌だった。もともと絵は好きで描いてたし、中学の頃はちょっとだけ小説も書いて、「将来小説家になるんだ~!」って思ってた時もあった。可愛い。でもマンガ家に挫折したから、っていう理由はちょっと小説家に失礼ではないか?
仮に私が今後、創作でめっちゃくちゃ社会的に「成功」と呼ばれるものを掴んだとしても、それがなくなってしまったら、結局自分の価値は創作に依存しているから、「どうしてなんだ!」「また成功しなければ」と一生しんどい思いをすることになってしまう。
結局、自分は自分への無価値感を創作、そしてそれに付随する刺激(評価など)で補償しようとしていた、埋めようとしていたっていう事実。それだと、自分はずっと満たされないままだと思う。
絵の勉強をするのも自分の価値を上げるため。極端な話すべてがそうと言ってもええんちゃうかな。
今非課税5000兆円がぽんと手元にあらわれて「これはあなたのものですよ」と言われた時、自分は絵を描くことは辞めないと思う。創作はずっとしていたい。けど、「絵の世界でもっと伸びたい!」って思うか?って言われたら正直わからない。
それは、自分の価値が「絵で何かしら~」から「5000兆円持ってる人」にすり替わっただけ。
結局、自分の価値は外側に委ねてしまっている。
仮にお金も全然なくて、絵で何も評価とかも全くもらえない、ゴミでクズで価値なんかないって他人に言われたりする。そんな自分に対しても、「確かにゴミでクズで社会的な何かもなくて、ほんと終わってるけど、でも価値がないわけじゃないよ」ってちゃんと自分に言えるようになりたい。
あ、でも普通に非課税5000兆円はほしい。畳む
私は創作を自分の価値を上げるものとして使っていることはまあわかっていて、でもそんな自分も嫌だった。もともと絵は好きで描いてたし、中学の頃はちょっとだけ小説も書いて、「将来小説家になるんだ~!」って思ってた時もあった。可愛い。でもマンガ家に挫折したから、っていう理由はちょっと小説家に失礼ではないか?
仮に私が今後、創作でめっちゃくちゃ社会的に「成功」と呼ばれるものを掴んだとしても、それがなくなってしまったら、結局自分の価値は創作に依存しているから、「どうしてなんだ!」「また成功しなければ」と一生しんどい思いをすることになってしまう。
結局、自分は自分への無価値感を創作、そしてそれに付随する刺激(評価など)で補償しようとしていた、埋めようとしていたっていう事実。それだと、自分はずっと満たされないままだと思う。
絵の勉強をするのも自分の価値を上げるため。極端な話すべてがそうと言ってもええんちゃうかな。
今非課税5000兆円がぽんと手元にあらわれて「これはあなたのものですよ」と言われた時、自分は絵を描くことは辞めないと思う。創作はずっとしていたい。けど、「絵の世界でもっと伸びたい!」って思うか?って言われたら正直わからない。
それは、自分の価値が「絵で何かしら~」から「5000兆円持ってる人」にすり替わっただけ。
結局、自分の価値は外側に委ねてしまっている。
仮にお金も全然なくて、絵で何も評価とかも全くもらえない、ゴミでクズで価値なんかないって他人に言われたりする。そんな自分に対しても、「確かにゴミでクズで社会的な何かもなくて、ほんと終わってるけど、でも価値がないわけじゃないよ」ってちゃんと自分に言えるようになりたい。
あ、でも普通に非課税5000兆円はほしい。畳む